「暑い」 とにかく暑い。何度目だろう、この言葉。 1日に何回同じフレーズを繰り返しているのか。言ったところで、何も変わらない。それでも言わずにいられない。それが、ここ数年の夏だ。
テレビでは毎年、「猛暑」「酷暑」と騒ぎ立て、危険指数なるものも表示される。 「不要不急の外出は控え、適切にエアコンを使用してください」などと。
……仕事は不要不急ではないのか? そんなことを、つい考えてしまう。思考回路がまともじゃない。脳まで溶けそうだ。
こんな日は、時間を戻すんじゃなくて、早送りしたくなる。
7月も終わりに差しかかったある日、今年の最高気温を更新したこの日。 そんな日に限って、屋根の応急修繕作業が入っていた。
ゲリラ豪雨に見舞われた家屋の修繕。 夏の天気は読めない。突然の雨に備えて、今やっておかねばならない仕事だ。
「何もこんな日に……」と思わなくもないが、依頼があるからにはやるしかない。 空を見上げながら、全身汗まみれで作業に打ち込む。
休憩中、施主の奥様が冷えたスポーツドリンクを持ってきてくれた。
「ご苦労さまです」 「ありがとうございます」
ゴクゴクと喉を鳴らして飲む。うまい。五臓六腑に染みわたる。
「こんなに暑い日は、ビールの方がよかったかしら?」と、奥様が笑いながら言う。
もちろん、アルコールは絶対NG。
……なのに、その一言が脳に刺さる。
(うまいだろうな……)
一度そう考えてしまうと、もう駄目だ。 頭の中はビールで埋め尽くされる。
焼き鳥屋、ビール、冷えたジョッキ。 思考がどんどん膨らんでいく。
「今日くらいは、いいんじゃないか?」
ふと浮かんだ一案。
(そうだ、“アレ”があるじゃないか)
能力。 月に一度だけ時間を戻せる、あの不思議な力。
「今月はまだ使っていない」
月末まで数日。 今使ってしまっても、まぁいいか。
「じゃあ、今日は……楽しむか」
仕事を終え、報告書を出し終えた私は、その足で駅前の焼き鳥屋に向かった。
店の前で少しだけ立ち止まり、葛藤する。
(1杯だけ、1杯だけ……いや、どうせならメガジョッキでガッツリ飲みたい)
そう思って、扉を開けた。
「いらっしゃいませ〜!」
威勢の良い声に迎えられ、カウンター席に座る。
メガジョッキの生ビールと焼き鳥2品を注文。
すぐに運ばれてきた巨大なジョッキ。
ゴク、ゴク、ゴクリ——。
「……あああ、うまい!」
思わず声が漏れる。
焼き鳥もすぐに届き、至福の時間が流れる。
だが——ビールは、すぐに無くなった。
「……もう無いのか」
一気に飲みすぎた。まだ15分も経っていない。
(この満足感のなさ……)
思い立つ。
(よし、“アレ”を使おう)
目を閉じ、深く念じる。 (戻れ、戻れ、戻れ……)
「お待たせしました!」
新品のメガジョッキがテーブルに置かれる。
成功だ。
今度は、じっくり味わいながら飲む。
アテには枝豆と冷奴。
ゆっくり、丁寧に、そして大切に、1杯を楽しむ。
幸せって、こういうことだろう。
30分ほどして店を出て、電車に揺られて帰宅。
玄関では妻と息子が迎えてくれる。
「おかえりなさい」
あぁ、幸せだ。家族がいるって、こういうことか。
「今日は暑かったわね。テレビで最高気温更新って言ってたわよ」
「晩ごはん、スーパーのお惣菜でごめんね。……でも、すっごい安かったの」
テーブルの上には、焼き鳥、枝豆、冷奴。
そして——
「はい。1本だけよ」
冷えた缶ビールが差し出される。
「お、おぉ〜。ちょうど飲みたいと思ってたんだ」
——3杯目。
時間は戻っても、体感は戻らない。
しじみパワーにすがりながら、私は願う。
「明日は、雨が降ってくれないだろうか……」
【エピローグ】
翌朝は軽い二日酔いだったが、内勤の一日で助かった。
やはり“あの使い方”は正しくなかったのかもしれない。
午後、LINEに兄から久々の連絡があった。
「盆休み、空いてる?」
特に予定もなかった私は素直にそう返した。
都会のバーで自由に生きる兄。
何年も会っていないが、どこかで気になっていた。
ただ、その時は、あの一通のメッセージが
何を意味していたのかを、まだ知らなかった。
次回予告 ついにやってしまうのか?「禁断のギャンブル!?」
近日公開予定
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