せっかく手に入れた「能力」だが、使いどころが分からない。
中途半端とは言うものの、時を遡ることは便利なはずだ。
この不思議な力が無かった頃――つまり、普通の私は、日常の中で**「やり直せたらな」**と思うことが時々あった。
それは例えば、仕事で何かしらのミスをしてしまった時や、
「これは危険だ。このまま進むと危ないかもしれない」と思いながら進めてしまい、やはり失敗した時。
あるいは、スーパーで隣のレジに並んだ方が早かった時、など。
おそらく多くの人は、「やり直せたら」と何度か思ったことがあるだろう。
しかし、最大の難点は、この「能力」が月に1回しか使えないということだ。
なぜか?
例えば自分にとって都合の悪い出来事があり、「時間を戻したい」と思ったとする。
その時が月末なら――良し。
まぁ、20日くらいなら、セーフと考えていいだろう。
しかし、これが月初なら話は別だ。
もし、万が一、今月中に本当に時間を戻したい出来事があった場合、
「何故残しておかなかったのか?」と悩み、苦しみ、悶え、眠れぬ夜を過ごすことになるだろう。
そう思うと、余計に使いどころが分からなくなる。
そして、使わないまま月末になり、損した気分でなんとなく使ってしまう。
……せめて月に3回、いや2回でいい。
**回数を増やしてもらえないだろうか?**と、誰に言えばいいのか分からぬ愚痴を、ひっそりとこぼしている。
実は先月、まさに「使いどころ大失敗」をしたのだ。
5月のGW中の出来事だった。
テレビでは、「有給を利用した長期休み取得者が旅行やレジャーを満喫している」とのことだった。
人気施設はどこも満員らしい。
私はもちろん、カレンダー通りの休日。
それでも連休ともなれば、子供を遊びに連れて行く機会が増える。
とは言え、「人気施設は満員らしい」ともっともらしい理由を掲げ、
近場での遊び――主に公園が増える。
……実際は、高額な施設に連れて行けるほどの収入が無いだけなのだが。
そうとは知らず、息子は無邪気に喜んでくれる。
父親と公園で遊べることがうれしいようだ。ありがたい。
何が楽しいのか分からないが、2人だけの「鬼ごっこ」や「かくれんぼ」を何度も何度もさせられる。
本来これは複数人で行う遊びではないのか?
ありがたいとは思うのだが、運動不足の身体には正直キツイ。
息を切らして6度目の鬼ごっこを終えた頃、
「お父さん、ブランコしてきていい?」と息子が言った。
私は親指を立てて返し、空いているベンチで息を整える。
3分……いや5分ほどは顔を上げることができなかった。
すると突然、息子の泣き声が聞こえた。
どうやらブランコから飛び降りようとして失敗したらしい。
駆け寄ると、ズボンの膝が擦り剝けて血が出ていた。
出血はしていたが、大したことはない。
子供なら誰でもする怪我だ。
……だが、「怪我をさせてしまった」という事実は大問題だった。
妻は息子を溺愛している。
「一緒にいて目を離すとは何事か!」と罵倒されるに決まっている。
これはマズい。
実はGW明けに、久しぶりに会う友人たちとの飲み会があり、
そのためには今月のおこづかいアップ――臨時ボーナスがどうしても必要なのだ。
このままでは、先月末から積み上げてきた**「妻のご機嫌ポイント」**が台無しになる。
これは《アレ》の使いどころではないか?
……しかし、5月はまだ始まったばかり。
本当にここで使っていいのか?
息子の手当てをしながら、頭をフル回転させる。
悩んだ末、目を閉じて強く念じた。
何秒かして、「お父さん、鬼ごっこしよう」という声に気づく。
成功したようだ。
いや、成功ではない。戻し過ぎた。
またも、息子との2人鬼ごっこが始まる。
私にとっては、2度目。
正確には12回目の鬼ごっこを終え、
「ブランコをする」と息子が言うのを待つ。
今度はベンチに座らず、息子と一緒にブランコに付き合うことにした。
こうして息子は怪我をすることなく、無事に公園遊びを終えることができた。
翌日、筋肉痛にはなったが――
数日後、友人たちとの飲み会には参加できた。
ここまでは良かった。が、問題はそのあとだ。
飲み会で久しぶりの再会に気を大きくしてしまい、つい飲み過ぎてしまった。
これがマズかった。
翌日は、家族でピクニックに行く予定だった。
だが、二日酔いで寝坊。
昼過ぎになっても頭痛が酷く、結局ピクニックはキャンセルとなった。
当然、お叱りを受ける。
「こんなことになるんだから、当分はお酒は禁止ね。おこづかいも減らします」
甘んじて受ける。
その後、近くの公園へ遊びに行くことに。
使い物にならない私を置いて、息子は走り回っていた。
その時――何かに躓いて転んだらしい。
足や手に擦り傷をつくり、泣いている。
妻は泣いている息子の手当てをしながら、こう言った。
「男の子がこれくらいで泣かないの!」
そして、私に向かってニッコリと微笑む。
「男の子の怪我なんて当たり前よね」
(……そうなの? これくらいは許すんだね)
未だに彼女を理解できていないことを思い知る。
ただ、一つだけハッキリしていることがある。
使いどころは、息子の擦り傷ではなく――
飲みすぎる前だったということ。
使いどころを失敗したおかげで、しばらくは厳しい節約生活になるということ。
「……どうか、使用回数を増やしてください」
空を見上げ、誰とも知れぬ神様に祈った。
次回予告 許すべき事と許せぬべき事。どうする?進次郎・・・。第五話 「震えるコブシ」
5月10日頃公開予定
【エピローグ】
その日は1日中雨だった。
雨の日は当然、現場仕事は無い。だが、仕事はある。
溜まりに溜まった書類作成。私が苦手な、あのパソコン業務だ。
太い指でポチポチとキーボードを押す。
隣では後輩の山下が、目にも止まらぬ速さで指を動かしながら、新入社員と雑談までしている。
私は雑談に参加する余裕などなく、画面に喰らいつくのが精一杯だった。
ふと、気になるワードが耳に入ってきた。
「山下さん、これ知ってます?」
「飲み会の時、二日酔いがキツいって言ってたじゃないスか。これ、いいんじゃないっスか?」
山下の高速指が止まる。そして私の低速指も止まる。
「どれよ?」
新入社員のPC画面を覗き込む山下。
「へぇ~、顆粒タイプかぁ。あ、この人見たことあるぞ」
「YouTuberっス。有名っスよねー」
なるほど、有名配信者が広告塔のサプリらしい。
山下は感心しながらも、
「でも、俺はいいや。ああいうの、あんまり効いたことないんだよな」と返して、また指を動かし始めた。
(……分かるよ、山下。俺もそうだ)
と心の中で呟く。
(でもな、山下。俺はアレで立ち直ったんだよ。しじみ、な)
例の失敗以来、私はしじみの味噌汁を毎日飲んでいる。
効果があるかは知らない。節約生活中の身では調べる余裕もない。
ただ、あれを飲んでいると、少しだけ気持ちが落ち着く。
昼休み。
私はポットから湯を注ぎ、会社の引き出しに入れてあるインスタントのしじみ味噌汁を取り出した。
湯気の向こう、雨粒が滲んだ窓の外を見つめながら、
静かに、味噌汁をひと口すすった。
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