「年末、東京に遊びに来ないか?」
その誘いは、兄・慎吾からの一本の電話だった。
「こっちで美味い店、もう予約してあるからさ。健太郎にも会いたいし。どうせお前、年末も家でゴロゴロしてるだけだろ?」
相変わらず軽い口調の兄に、私は苦笑しながら返事をした。
「いやいや、今年はゴロゴロじゃないんだよ。ちょっと予定が詰まっててさ……」
「え? 何かあんの?」
「まぁ、仕事がちょっと……でも、妻と健太郎は行けると思う」
「そっか。じゃあ、お前は後からでも合流しろよ。うちの店、貸し切りにしとくからさ!」
その会話を聞いていた健太郎は、目を輝かせて叫んだ。
「ほんとに!? オジちゃんの店、行ってみたい!」
妻もすぐにスマホで東京観光のスポットを調べ始め、「夜景のきれいなレストラン」とか「子どもが楽しめる博物館」といった検索ワードを呟いている。
私は少しだけ罪悪感を覚えた。年末くらい、家族と一緒に過ごしたい。だけど、そうもいかなかった。
「お前、九州出身だろ。ちょっと応援出張行ってくれよ」
そう言われたのは、年末直前の営業会議だった。山下と若手2人と一緒に、九州で進んでいる新規案件の視察・応援に回されることが決まったのだ。
「よりによって年末に……」
そう呟いた私に、課長は笑った。
「日帰りだ。夕方には帰れる。だから、翌日から家族旅行でも何でも行けるだろ」
そう言われてしまえば、断る理由もない。私は渋々頷いた。
年末の朝、私は九州行きの飛行機に乗ることにした。玄関で妻と息子が見送ってくれた。
「じゃあね、お父さん! 東京で待ってるよ!」
妻は「気をつけて」とだけ言い、旅行の準備に部屋へと戻る。何日分あるんだ?と思うような大量の洋服選びに時間が掛かるのだろう。
私たちの住む町から東京へは、新幹線でも飛行機でも行ける。妻は節約家だから、きっと新幹線を選ぶだろう――私はそう思っていた。
午後6時前。仕事を終え、空港のロビーで待機していたときだった。
テレビに流れた緊急速報。
『〇〇新幹線が脱線、近隣を巻き込む大事故。死傷者数百人。夜6時頃発生』
私は言葉を失った。
画面には、炎と煙に包まれた車両、走り回る救急隊の姿、泣き叫ぶ人々――。
それが、自分の住む町を出発し、東京へ向かうあの新幹線だとわかるのに、時間はかからなかった。
「ウソだろ……健太郎……里美……」
震える指でスマホを取り出し、LINEを開く。
既読がつかない。
電話も繋がらない。
今朝の別れ際の笑顔が、脳裏に焼き付いて離れない。
「……飛行機か? 新幹線か? どっちだ?」
私は自分に問う。だが答えは出なかった。
ただ、胸の奥で“最悪の結末”が現実になる予感だけが、強く脈打っていた。
「戻る……戻るしかない……!」
私はその場に立ち尽くし、深く目を閉じた。
頭の奥が軋むように痛む。心の底から、魂の底から、叫ぶように祈る。
(戻れ――頼む……!)
世界がぐらりと傾いた。
そして――
「田中さん、弁当温めます?」
目の前に、昼休み中の事務員が立っていた。
私は一瞬、何が起こったのか理解できなかった。だが、見慣れた作業服と事務所の空気が、全てを物語っていた。
戻った。今朝ではなく、昼まで。
時計を見ると、午後0時28分。
(ギリギリ……だけど、間に合う)
弁当を残し、私は言った。
「すいません。帰ります」
「え?」
返答を待たず、私はロッカーへ向かった。
山下が訝しげに追いかけてきた。
「シンさん? どうしたんすか?」
「すまん、俺、行かなきゃいけない場所がある」
「でも……仕事は?」
「頼む、あとで全部説明する」
真剣な目をした私に、山下はそれ以上何も聞かなかった。
私は現場から車を飛ばした。エンジンを吹かしながら、目指すは新幹線の発着駅。
だが、その道中。
「うそだろ……!」
渋滞。
信号がまったく進まない。
私はハンドルを叩き、叫んだ。
「なんで今日に限って……!」
そのとき。
「シンさん!」
車の横に現れたバイク。
ヘルメット越しに、山下の声が聞こえた。
「後ろ、乗ってください!」
後部座席には、若手の新人社員。
「田中さん、俺が運転します!」
「お前ら……なんで……」
「シンさんの顔見たら、ただ事じゃないって分かりますよ!」
私はすぐに車を路肩に停め、バイクに飛び乗った。
エンジンが吠え、バイクは渋滞の横をすり抜けて、一直線に新幹線駅へと突き進んでいった――。
(続く) 次回 水曜更新予定
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