「……この男、危険ですよ。運転士に暴力を振るってます」
「新幹線の運行を妨害したってことで、威力業務妨害、それに傷害もあるかもしれません」
その場にいた誰もが、田中進次郎という男を“事件の当事者”として見ていた。
取り押さえられた彼の姿は、まるで錯乱した暴漢のようだった。
線路内への立ち入り。運転士への暴力。駅構内での暴れ――そのすべてが、映像として記録されていた。
翌日のワイドショーはその話題で持ちきりだった。
「年の瀬の新幹線暴行事件」
「男はなぜ暴れたのか?」
「意味不明な“予言”を叫びながら暴れた謎の中年男」
ネットには無数の書き込みが溢れた。
〈精神疾患じゃないの?〉
〈ヤバいやつ〉
〈怖すぎ〉
〈死んでくれ〉
――そして、夜。
衝撃の事実が報道された。
専門チームによる検査の結果、新幹線の車輪部に経年劣化による深い亀裂が確認されたというのだ。
「非常に危険な状態で、走行中に亀裂が進行していたら、最悪の場合脱線の可能性もありました」
専門家の口から、そう語られた。
テレビのコメンテーターが口を揃える。
「この“暴漢”の行動がなければ……今ごろ、大惨事を迎えていたかもしれない」
一方、家族は――
東京のホテルのテレビで、その報道を見ていた。
数時間前に飛行機で到着し東京観光を楽しんでいた。
「……え……?」
目を見開く妻の隣で、健太郎がぽつりと呟いた。
「……お父さん……?」
報道に映し出された、“暴れた男の写真”。
――田中進次郎、その人だった。
「どういうこと……? だって、お父さんは九州に……」
動揺する妻は、その場に崩れ落ちるように座り込んだ。
健太郎は、黙って画面を見つめ続けていた。
後日。
田中進次郎の葬儀は、ひっそりと営まれた。
一部では「暴力的な異常者」、一部では「未来を救った英雄」と呼ばれながらも――真相は、誰にも分からなかった。
会場には多くの弔問客が訪れていたが、親族以外で最後まで残っていたのは、山下と数人の同僚だけだった。
小さな斎場。
花に囲まれた棺を前に、妻は微笑むように呟いた。
「何やってんだかねぇ、この人は。似合いもしないのに、ヒーローみたいなことしちゃってさ……」
その隣で、健太郎がぽつりと答える。
「……お父さんは、ずっとヒーローだったよ」
「え?」
妻が驚いて振り返ると、健太郎は静かに語り始めた。
「お父さんね……社員を守るために、嫌な上司を殴ったんだよ。怒ってる人の前に立ちはだかったり、僕がケガしないようにブランコのそばにいてくれたり……あと、オジちゃんの競馬、当てて助けてた。僕、知ってる」
「それ……誰に聞いたの?」
「誰にも。……でも、知ってるんだ。お父さんがやったこと。たぶん、お父さんだけが知ってた時間なんだと思う」
その言葉に、大人たちは苦笑しながら顔を見合わせた。
「健太郎、それはきっと夢の話よ」
「違うよ。ボクは知ってるんだ、本当のことだよ」
そのときだった。
斎場の片隅で、泣き腫らした目の山下が、唇を震わせながら呟いた。
「……確かに、シンさんはヒーローだったよ」
皆が振り返る。
「俺なんか……屋根から落ちるとこ助けてもらってる。俺が何度もしくじった時も、怒らずに支えてくれた。……ずっと、憧れのヒーローだった……」
山下は声を詰まらせ、目を伏せた。
沈黙のなか、誰もが胸の奥に何かを感じていた。
その日、進次郎の棺に収められたのは――
地味で、優しくて、家族想いの、一人の男の人生だった。
だが、その背中を見ていた者たちの中では、彼は確かに――「ヒーロー」だった。
(続く:終章へ) 最終章 まもなく更新予定
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